執事をお嬢様 W
 
 
 
 
「ねえ、藤崎さん、お見舞いに来たんじゃないの??」
 
「そうです。お見舞いです。」
 
「でも、ここは外来の受付よ・・・」
 
「そうですね。さあ、熱を測りましょう。」
 
「熱?? 私、どこも悪くない・・・」
 
「具合が悪くては困るんです。」
 
「・・・??」
 
「インフルエンザの予防接種ですから。」
 
「・・・!?いや〜ん、嘘つきっ!!お見舞いだって言ったのにぃ・・・」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                          執事をお嬢様 W
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やれやれ、とうとうバレてしまいましたか。
 
 
どんな理由があるにせよ、こんな騙すような真似は、正直心苦しい。
何の疑いもせずに、笑顔でついて来たお嬢様の心中を思うと、申し訳ない気持ち
でいっぱいになったがそれも、致し方がないこと。
 
注射が何よりもお嫌いなことは、小さな頃から周知の事実である。
だからこそ、こんな小細工をしなければならなかったのだが・・・
 
 
嫌がるのを無理に熱を測って、待合室の椅子で順番を待っているお嬢様は、
知人のお見舞いだと偽って予防注射に連れて来られたことが気に入らないのだろう。
不貞腐れたように押し黙って、私と佳代さんの間に座っている。
 
 
大人しく注射が受けられたら、帰りに何か好きなものを買い求めてあげましょう。
 
 
そんなことを思いながら待っていると、問診表に不備でもあったのか、受付から呼び出された。
ほんの数分、話をして戻って来るとお嬢様の姿が見えない。
 
 
 
 
「お嬢様はどちらへ??」
 
「そ、それが、化粧室へ行かれました。」
 
「そうですか。」
 
 
 
 
あっさりと言ってはみたが、明らかに佳代さんの様子がおかしい。
私と視線を合わそうとせず俯き加減で、どことなくソワソワしている。
それと、さっきまでのあまりにも大人しいお嬢様の様子も気になった。
 
 
さては・・・・
 
 
一応、化粧室の入り口で様子を見たが、出てくる気配はない。
 
 
もしや・・・・
 
 
と思い、慌ててエントランスの自動ドアを抜けると、水島の運転する車の後部席
に片足を踏み入れようとしているお嬢様を発見。
 
ドアを閉めようとするのを寸でのところで捕まえて、車から引きずり下ろす。
まったく、ちょっと目を離すとこれですから・・・
 
 
 
「イヤ〜ン、放して!!」
 
 
 
私に掴まれた腕を払おうと暴れるお嬢様を引っ張って、再びエントランスのドアを入ると、
今度は座り込んで抵抗をはじめた。
 
 
 
「さあ、もうすぐ順番がきますよ。行きましょう。」
 
 
 
極力優しい口調で言い、抱き起こそうとすると、
 
 
 
「イヤ!!絶対注射なんかしないから。」
 
 
 
睨むような眼差しでじっと私を見上げて、梃子でも動かない様子。
 
仕方がありませんね。
もう、さっきまでの優しい口調はお終いです。
いったいここをどこだと思っているのだか・・・
 
 
 
 
「いい加減にしなさい。ここをどこだと思っているんです??病院ですよ。」
 
「嘘つき・・・そんなの知らない。」
 
「そうですか。だったら仕方ありません。ここでお尻を出しますか??」
 
 
 
 
この言葉にお嬢様は、一瞬ビクっとして黙ってしまわれた。
私が唯の脅かしで言っているか否か、粗方、察しがついたのだろう。
 
 
 
 
「ずるい・・・・」
 
 
 
かすかな声がしたが、聞こえない振りをして抱き起こすと、
よいタイミングで名前を呼ばれた。
 
 
それでも、わざとゆっくり歩いて無駄な抵抗を試みるお嬢様を抱きかかえ診察室に入る。
 
 
思っていた通り、ここでも素直に腕を出さず、「イヤ」だの「帰る」だのと駄々を捏ね続けるのを、
佳代さんと二人でしっかり押さえつけて、何とか予防接種は終わった。
 
病院の看護士さんや先生の手を焼かせ、多大な迷惑を掛けてしまったが、
これも、覚悟の上のこと。
 
 
唯、困ったことに、私の予想以上にお嬢様の機嫌を損ねる結果に・・・
 
 
帰りの車の中でも一言も口を聞かず、完全に無視。
 
 
お小さい頃なら、甘いお菓子や何かで宥めることも容易くできたが、
大学生になられた今では、そんな見え透いた機嫌取りが通用するとは到底思えない。
 
お屋敷に戻られてからも、自室に篭られたまま、何をどう言っても
返事もなさらず、夕食の席にも下りて来ない有様。
 
いつもなら、キツク叱るところだが、今回ばかりはこちらにも原因要素を作った
負い目があるだけに、頭ごなしに叱ることができない。
 
病院で、しかも他の患者さんが見ている前で、あれだけ駄々を捏ね、
診察室でも、先生や看護士さんに悪態をついたのですから、
いつもなら、壁に手をつかせて、ケインでイヤと言うほどお尻を叩くのに・・・
 
 
このまま機嫌が直るのを待つしかないか・・・と思っているところへ、晃彦さま
がお見えになった。
洋梨のタルトをご自身で焼いて、持ってきてくれたとか・・・
 
 
 
 
「紗雪さんは、ご在宅ではないのですか??」
 
「それが・・・・」
 
 
 
 
晃彦さまが見えると、いつでも笑顔で飛んでくるのに、
今日はその気配さえないことを不思議に思われたのか、
心配そうに眉をひそめて、こうお聞きになられた。
 
 
 
 
「風邪でも・・・ひいたのですか??」
 
「いえ、具合が悪いわけではないのですが・・・実は・・・」
 
 
 
私は、今日の一連の出来事の一部始終を包み隠さずお話した。
 
知人のお見舞いだと偽って、予防注射に連れ立ったこと、
待合室から逃げ出し、駄々捏ねてたくさんの方に迷惑をかけたこと、
すっかり機嫌を損ねて、口も聞いてくれぬこと・・・云々・・・
 
 
 
 
「わかりました。僕が会ってきましょう。大丈夫、任せてください。」
 
「お願い致します。」
 
 
 
 
力強く言って、爽やかな笑顔を残し、晃彦さまが階段を上る後ろ姿を見ながら
私は、心の中で呟いていた。
 
 
 
頼みましたよ・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
階段を上り大きな廊下に出ると、右に曲がり二つ目の部屋が紗雪のプライベートルーム。
静かにノックをしたが、返事はない。
 
 
 
「入るよ。」
 
 
 
一応、断ってからドアを開けると、大きな天蓋付きのベッドに小さな身体を横たえて
頭からすっぽり布団を被っていた。
 
何の反応もないってことは、まだ不貞腐れてるってことか・・・
 
ベッドの端に腰を下ろし、すっぽり被った布団を少しだけ下げ、様子を窺ってみる。
 
 
 
 
「恋人が来たんだ、返事くらいしたらどうなんだ??」
 
「・・・」
 
「紗雪の好きな洋梨のタルトを焼いてきたから、一緒に食べないか??」
 
「・・・」
 
「ふ〜ん、返事もできないってわけか・・・いったい何が気に入らないんだ??」
 
「・・・」
 
「黙ってたら分からないだろう??」
 
 
 
 
これは、相当、根に持ってるな。
さて、どうしたものか・・・・と足を組み替えながら思案していると、
沈黙を破り、紗雪が布団から顔だけ出して心の内を堰を切ったように話し始めた。
 
 
 
 
「だってね、藤崎さんたらひどいの・・・私のこと騙したのよ。」
 
「聞いたよ。インフルエンザの予防接種してきたんだって。
 注射は終わったんだし、これでインフルエンザに罹らなければ、結果オーライじゃないか。」
 
「そういう問題じゃないの。私が注射が何より嫌いだって知っていて嘘吐いたんだから。
 藤崎さんが、そんな卑怯な真似をする人なんて知らなかった。」
 
 
 
 
紗雪の言ってることにも一理ある。
理由の如何によらず、誰だって、騙されて嬉しい人間はいないだろう。
気持ちは分かるが、だからと云って、いつまでも終わった現実を受け入れず
拗ねているのは、大人のすることじゃない。
 
 
 
 
「ほら、いつまでもそんなこと言ってないで、機嫌直せよ。なっ??」
 
「イヤ!!いつも私に、嘘はいけません・・・って口煩く言うのに、自分だって嘘吐いて騙して・・・
 どうせ、晃彦さんもグルなんでしょ??」
 
「グル??人聞きの悪い・・・だったら聞くが、正直に話したら素直に注射が受けられたのか??
 どうなんだ??」
 
「・・・」
 
「さっきから聞いていれば、自分のことばっかりで、藤崎さんの気持ちを少しで
も考えたことがあるのか??」
 
 
 
 
こちらとしても、気持ちが分かるだけに、できれば叱りたくない。
素直に機嫌を直してくれれば、それで済むのに・・・
しかし、次の言葉で決定的になった。
 
 
 
 
「晃彦さんに私の気持ちなんてわからないんだわ。もう出てって!!」
 
 
 
 
オレは、ふいにベッドの端から立ち上がると、柔らかい羽布団を捲くり上げた。
勢いで風が起きて、紗雪の栗色の髪がふわりと揺れる。
 
 
 
「イヤ〜ン、何するの?!」
 
 
 
呆気に取られている腕を引き寄せ、横抱きにすると思いっきりお尻を叩いた。
足をバタバタさせて必死で抵抗する小さな身体を抱いたまま、再びベッドに腰掛けると、
そのまま膝に乗せ、スカートを撒くり上げ、下着を足の付け根まで下げる。
 
 
 
 
「紗雪があまりにも聞き分けがないからだ。しっかり反省しなさい。」
 
「やだぁ!!注射したところが痛いんだから。先生だって、大人しくしてなさいって言ってたもーん。」
 
 
 
 
都合のいい言い訳をして、叩かれる前から暴れる紗雪の白いお尻に、
思い切り振りかぶった右手を落とした。
 
 
 
ピッシャーーーン!!
パッシィーーーン!!
ピッシィーーーン!!
 
ピッシャーーーン!!
パッシィーーーン!!
ピッシィーーーン!!
 
 
 
「あ〜ん、いたぁーーい!!」
 
 
 
背中をのけ反らせて、お尻を庇うその両手をしっかり左手で掴み、
膝から逃げようとするのを元に戻して、更に強く叩く。
 
 
 
 
ピッシャーーーン!!
パッシィーーーン!!
ピッシィーーーン!!
 
ピッシャーーーン!!
パッシィーーーン!!
ピッシィーーーン!!
 
 
 
 
「紗雪、悪いコトをしたら何て言うんだ??」
 
「私、悪くない・・・」
 
「ふ〜ん、まだ全然反省してないってことか。」
 
 
 
 
紗雪のお尻は真っ赤に腫れあがって、ところどころ紫の斑点ができていた。
ここで許してやりたい・・・でも、肝心な言葉が聞こえてこない。
自分の気持ちだけじゃなく、相手の気持ちも思い遣る心が大事だということを
しっかり分からせなければ、痛い思をしただけでお仕置きが無駄になってしまう。
 
オレは心を鬼にして、バタバタ抵抗する両足を右足でしっかり固定し、お仕置き
を続けた。
 
 
 

「いやぁーーー!!!もう無理だもーーん!!」
 
「何が無理なんだ??」
 
「・・・」
 
「聞き分けはない、駄々は捏ねる、藤崎さんや病院の先生、看護士さんに迷惑かけて
 それでも、悪くないって言えるのか??」
 
「・・・」
 
「藤崎さんが何故、嘘までついて予防接種受けさせたか分かってるのか?」
 
「・・・」
 
「なんだ、口も聞けなくなったのか?」
 
「・・・」
 
「インフルエンザに罹って辛い思いをしてる紗雪を見たくないからだろう。」
 
「・・・」
 
「これだけ言ってもまだわからないのか?」
 
 
 
 
オレは、振り上げた右手を空中で止めた。
紗雪の泣く声が聞こえたからだ。
 
 
 
 
「ごめ・・んな・さい・・ごめんな・・さい・・・聞き分けが・・・なくて・ごめん・・なさい・・」
 
「やっと分かってくれたみたいだな。」
 
「私が悪い子だったの・・・ごめんなさ〜い。」
 
「さあ、お仕置きは終わりだ。」
 
 
 
 
色々な思いが込み上げてきたのか、
しゃくり上げて泣いている紗雪を抱き起こすとギュッと抱きしめた。
 
 
 
 
「紗雪、藤崎さんほどの人が理由もなく、騙したり嘘吐くと思うか??」
 
「ううん・・・」
 
「去年は、インフルエンザに罹って大変な思いをしたんだろう??
 熱にうなされる紗雪を見ているのが、とても辛かったって、できることなら代
わってやりたかったって、そう言ってたよ。」
 
「藤崎さん、そんなことを・・・」
 
「自分の気持ちばかりじゃなく、ちゃんと周りのことも考えられないとな。
 藤崎さんも佳代さんも、みんな紗雪のことが大好きなんだ。もちろんオレもね。」
 
「あきひこさん・・・ごめんなさい・・」
 
「それはオレに言う科白じゃないだろ??藤崎さんに言わないとな。」
 
 
 
 
泣いたせいでパンパンに赤くなったホッペを指で突くと、
紗雪は、照れくさそうに頷いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「藤崎さん・・・今日は悪い子でごめんなさい・・・」
 
 
 
とても照れくさかったけど、しっかり目を見て「ごめんなさい」を言った。
 
晃彦さんが、後ろから
 
 
「上出来だ。」
 
 
って、頭をポンポンってしてくれた。
 
 
 
 
藤崎さんは、いつもより少しだけ淋しそうなお顔で、
 
 
 
 
「私のほうこそ、騙して申し訳ありませんでした。」
 
 
 
そう言って、深々と頭を下げた。
 
 
そんな姿を見ていたら、何だかとても悲しくなった。
注射は嫌いよ・・・大っ嫌いだけど、感情に任せて駄々捏ねて、
周りの人に迷惑掛けた自分が、今頃になって、恥ずかしくて情けなくて堪らなくなった。
しかも、それを藤崎さんのせいにして・・・
 
騙された私より、騙すような真似をしなければならなかった藤崎さんのほうが
きっと、心を痛めていたんだって、やっと分かった気がした。
 
 
 
「ううん、私がいけないの・・・聞き分けがない私が悪かったの・・・
 だから、お願い、頭をあげて・・・」
 
 
 
ゆっくりとあげたお顔は、何とも云えない大きくて暖かい微笑みが湛えられていて、
思わず抱きついてその広い胸に顔を埋めて泣いた。
 
 
 
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
 
「分かってくれたらそれでいいんですよ。ほら、もう泣かない。」
 
「だって・・・」
 
「明日、お岩さんになっても知りませんよ。」
 
 
 
厳しくて優しい・・・強くて大きくて、それでいて春の日差しのように暖かい・・・
いつでもどんなときでも見守ってくれる・・・正しい道に導いてくれる・・・
私の守護神・・・
 
目の前の藤崎さんが、いつもより何倍も大きく見えた。
この人には、一生敵わないって、そう思った。
 
 
 
そのあと、藤崎さんは、晃彦さんの側へ行くと軽く一礼して、何か言っていたよ
うだったけど、いったい何だったのかしら・・・
 
 
 
 
 
 
ちゃんと謝れてスッキリし私は、それから晃彦さんとお夕食を供にし、
大好きな洋梨のタルトをいただいた。
まるで、パテェシエの作品みたいに美味しかった。
 
 
 
 
「しかし、ずいぶんと手古摺らせてくれたな。紗雪があんなに強情だったとは知らなかったよ。」
 
「だって、信頼している人から不意打ちをされた気分だったんだもん。」
 
「お蔭でオレの右手もパンパンだ。」
 
 
 
 
晃彦さんは、ほらって右手を見せてくれたけど、本当に赤く腫れていた。
 
 
 
 
「パンパンなのは、晃彦さんの右手だけじゃないわ。私のお尻はもっとパンパンなんだから。」
 
「それは自業自得だろう??あれだけ、悪い子だったんだから。」
 
「それは言いっこなしよ♪」
 
 
 
 
楽しく会話していると、藤崎さん自らお茶を淹れてきてくれた。
 
そして、私の側まで来ると、
 
 
 
 
「お嬢様、ひとつだけ、言い忘れていたことがございます。」
 
「なあに??」
 
「今日のところは、こちらにも原因があるため、かなり大目にみましたが、
 次、同じことをなさったら許しません。駄々捏ねるなら、手足を縛ってお仕置きです。いいですね??」
 
「し、縛る??」
 
「そうです。ちなみに脅かしではありませんので。」
 
「・・・・」
 
「お返事は??」
 
「は、はい・・・」
 
「よくできました。」
 
 
 
 
つい、お返事してしまったけど、これじゃあ、守護神じゃなくて、鬼だわ・・・
当の藤崎さんは、ニコニコ人懐こい笑顔を浮かべているけど、
それが曲者だったりする。





「それから、晃彦さま、お手は大丈夫ですか??私の執務机の一番下の引き出しに
 ケインがございます。必要なときにはどうぞご自由に。」
 
「お言葉に甘えて、必要になったら使用させていただきます。」
 
 
 
いったい何なの、二人の会話・・・
 
 
さっきから、ちょっと気になってはいたけど、やっぱり怪しい・・・
二人が「グル」だってことは、あながち間違ってなかったのかもしれないわ。
 
 
 
そうだ、私にもひとつだけ言っておきたいことがあった。
二人ともよく憶えておいて。
 
 
 
注射は嫌いよ、大っ嫌い!!!
もう二度と騙されたりしないんだから。
 
 
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
 
 
 
Nina拝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

back