執事とお嬢様 最終章 | |
藤崎さんが倒れて、私たちがお屋敷に戻ってから半年が過ぎた。 本人の至っての希望で自宅療養になって2週間が過ぎたけれど、 未だにベッドで寝たり起きたり。。。 ご自身は努めて元気な風を装っているけれど、衰弱は誰の目にも明らか。 私の目にさえも。。。 藤崎さんの入院中に晃彦さんの赴任先が決まり、明日には、一足先に発った 彼を追って、日本を離れなければならないというのに。。。 執事とお嬢様 最終章 「藤崎さん、ご気分はいかが??」 「お蔭さまで、大分いいですよ。」 少し掠れた声でゆっくりそう言って、笑みを浮かべてはいるけれど、衰弱が甚だしいことは、 誰の目にも明らか。 きっと、藤崎さんご自身が一番そのことをわかっているに違いないわ。 でも、気弱なことなど、ただの一言だって口にすることなどない。 そんな気丈なお心が、 今は頼もしいと言うより少しだけ淋しい。 もっと、頼って甘えて欲しいのに。。。 それに、こんな状態の藤崎さんを残して発つことはやはりできない。 藤崎さんは、 お世話をしてる佳代さんにベッドを起こしてもらうと、 小さく咳払いをして、 「明日は晃彦さまの赴任先へ発つ日でしたね。準備は終わりましたか??」 「ええ。。。でも、明日発つのは取りやめにします。ここに残るわ。」 それを聞くと、急に厳しい表情になって、 「何を馬鹿なことを言っているのです。予定通り、明日、お発ちなさい。」 「でも、藤崎さんを残して行けないわ。。。」 「誰が残って欲しいと言いましたか??」 「えっ。。。」 「私は一言も残って欲しいなどと言った覚えはございません。」 「そんな。。。私が、藤崎さんのことを心配してはいけないの??」 藤崎さんの言葉が悲しくて、ついムキになって言ってしまう。 病人を前に、いけない子。。。 私の言葉に、今度は淋しそうに溜息を吐く。 それが切なくなるほど、弱弱しくて、思わず泣きそうになるのを必死でこらえた。 「藤崎さんのお側にいたい。。。それだけよ。」 「お嬢様のお気持ちはよくわかりました。ですが、 ご自分のお立場をよく考えなさい。」 「立場などどうでもいいわ。藤崎さんがよくなるまでここに残ります。もう、決めたの。。」 「はぁ。。。」 息苦しいのか、小さく息を吐くと、藤崎さんは予想外の言葉を口にした。 「ここへきて、お尻をだしなさい。」 えっ。。。今、なんて言ったの?? 聞き取れない程の声で言うと、布団の上から膝をポンポンと叩く。 そう、悪い子だったとき、いつもそうされたように。。。 「いや。。。もう子供じゃないわ。」 「聞き分けのない子は、いくつになってもお尻を叩かれるのです。さあ、ここへきなさい。」 どうしたらいいのかわからないのと、恥ずかしさでグズグズしていると、 左手が伸びてきて、右手首を掴まれた。 やつれた身体のどこにそんな力があるのかと思うほどの力で、膝の上に 載せられる。 そして、そのままお洋服の上から5回、お尻を叩かれた。 以前、叱られたときは悲鳴を上げるほど痛かったのに、 今日は全然痛くない。。。 それなのに、涙がどんどん零れ落ちてくる。 お尻は痛くないのに、心が痛くて痛くて、とうとう声をあげて泣く。 藤崎さんは、優しく私の髪を撫でながら、 「ご夫婦が離れ離れになっていてはいけません。晃彦さまのお側でお支えするのが 妻であるお嬢様のお役目ですよ。わかりますね。」 「でも。。。」 そのあと、言葉が続かなかった。 そんな風に諭されたら、それでもお側にいたいって言えない。 「私のことは主治医も付いていますし、佳代さんもいますから何も心配はいりません。 安心してお発ちなさい。」 「本当??本当に大丈夫??」 念を押す私に、 「私が信じられませんか??私が今まで、お嬢様に嘘を言ったことがありますか??」 「ううん。。。ないわ。。。」 「まだまだやらなければならないことが山ほどあります。 いつまでも、ベッドでグズグズ しているわけにはいきません。」 いつもの笑顔。 それでも、不安を隠せない私に、 「まだ、私が信じられないようですね。もう一度お尻を叩きましょうか??」 「もう、イヤよ。。。」 「あはは。。。冗談です。」 笑ったあと、急に優しい声で、 「さあ、涙をふいて。美しく魅力のある若マダムが簡単に泣いてはいけません。 何があっても微笑みを忘れずに。涙は極上の喜びのためにとっておきましょう。約束ですよ。」 「はい。。。」 ベッドの藤崎さんの膝の上に突っ伏して、背中をとんとんと撫でられながら、 私は少女のころ、いたずらして叱られたあと、こんな風に優しく諭された日のことを 思い出していた。 煌めく新緑の中、お庭の噴水の水を思いっきり出して辺りを水浸しにして叱られたこと。。。 肌寒い雨の日、拾ってきた子犬を黙ってお部屋の中で飼って叱られて。。。 あの頃と変わらない懐かしい声の響き、包み込むような大きな手。 何だかすっかり安心してしまい、私は藤崎さんの言葉に従い、翌日日本を発った。 発つ前に、ご挨拶をしに行ったとき、ベッドの中で、 「やはり、お嬢様には笑顔がお似合いですね。」 そう言って、にっこり笑った藤崎さんのお顔、今までに見たことがないくらい幸せそうだった。 そして渡された白い封筒。。。現地に着いてから読むようにと。 そこに、何が書かれているのか、想像することすら忘れるほど安心しきって、 私は新しい土地での生活に胸を膨らませていた。 |
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現地に着いて、挨拶回りやら何やらで、藤崎さんから手渡された手紙を開いたのは、 2週間程経ってから。。。 夕食のあと、思い出して開いた手紙には、藤崎さんの思いのすべてが記されてあった。 以下、本文 この手紙を開いたということは、現地に着いて落ち着いた頃でしょうか。 新しい土地での生活にお嬢様は胸を躍らせていることでしょう。 とうとう、私の手の届かない所に行ってしまわれたのですね。 これからは、誰もお嬢様を叱り意見して下さる人はいません。 すべて、自分で選び決断するのです。 以下に記すことを、しっかりと心に刻んでおくこと。 これが、私の最後の願いです。 ・いつも微笑みをわすれずに ・決して揺るぐことのない強い信念を持つこと ・人の気持ちを考えることができること ・視野はいつでもワールドワイドに ・人に頼られる存在であること どんな苦しい辛い状況でも、微笑んでいられる強さがあれば乗り越えられないことなど ありません。 ご自分が何を目指し何処へ向かっているのか、決してブレることのない信念を持ち、 人の気持ちを考えることができてこそ、本物の大人です。 以前、お話したことがございましたね。 知性とは理解力と判断力であり、知性のない品性はあり得ないと。 あらゆるシーンで、ご自分の置かれた立場を理解し、周りを不愉快な思いにさせない ためにはどう振舞えばいいか、筋道を立てて考え判断できること。 それが知性です。 知性と品性、そして慈愛を併せ持つ魅力あるマダムにおなりなさい。 世界情勢もしっかり頭に入れて、晃彦さまをお支えするのです。 そして、これからは他人を頼らず、頼られる存在になること。 お嬢様の笑顔と優しさで、たくさんの人々を幸せにしてください。 私のお嬢様なら、できるはずですよ。 私はかつて、貴女の母上である深雪奥様に懸想しました。 主人の奥方に思いを懸けるなど、昔であれば主に対する反逆罪です。 ですが、水早様も奥様も気づいていながら、いつもと同じように私に接して くださった。 深雪奥様がお亡くなりになったあと、水早様は大切なお嬢様を私に託してくださったのです。 あの時から、私は一生、お嬢様のために生きて行こうと決心しました。 小さいころからやんちゃでお転婆で、私にたくさん叱られお尻を痛くされましたね。 貴女に厳しくお仕置きするのは、この私でも相当の覚悟が必要でした。 厳しすぎたかと毎日反省の日々でした。 それでも、どんなに厳しく叱られても、お嬢様は私を慕ってくださった。 屈託のない笑顔を向けてくださった。 どれほど、救われたか。。。 私にとって、貴女は夢であり、生きる希望でした。 これからは晃彦さんと二人で生きて行くのです。 私がいなくても、もう大丈夫ですね。 今、お嬢様は大きな扉の前にいます。 開ければ、貴女が進むべき新しい人生の歯車が回り出します。 決して後ろを振り返らず、前だけを向いて歩いてお行きなさい。 貴女にしか歩めない道を。 最後に、姫は決して疲れてはなりません。 貴女が疲れてしまっては、周りの人、すべてが疲れてしまうからです。 どんな時でも、微笑みをわすれずに。 何があっても、心はお嬢様のお側におります。 そして、貴女の幸せを心から願っております。 私の姫君 紗雪お嬢様へ 藤崎鏡太郎 美しく力強い文字。。。 読み終えたあと、私は日本を発つ日、藤崎さんが見せた最後の笑顔を思い出していた。 限りなく優しい、木漏れ日のように温かいまなざし。 藤崎さんが、どんなお気持ちでこれをしたためたか。。。 思うほどに、涙があふれて止まらなかった。 そして、翌日、まるで私が手紙を読み終えるのを待っていたかのように、 東京から訃報が届いた。 でも、私は泣かない。。。どんなに悲しくても辛くても、笑顔で生きてゆく。 それが、藤崎さんと私の最後の約束だから。。。 『涙は極上の喜びのためにとっておきましょう。お嬢様には、笑顔がお似合いですよ』 END Nina拝 5年に渡り、「執事とお嬢様」をご愛顧いただき、 ありがとうございました。 Nina、心より感謝しております。 そして、わたくしの拙い小説を快くサイトにアップしてくださった Y'z氏に感謝とお礼を。。。 ありがとうございました。 |