うさぎと博士 | |
博士は私に優しくない。 優しいのは、悪いことをして叱られて、たくさんお尻を叩かれたあとだけ。 博士はとても厳しくて、どんな小さな悪戯でも簡単に許してくれることはない。 いつもいつも嫌がるのを力ずくで膝の上に乗せられ、痣ができるまで容赦なく叩かれて、 嗚咽で呂律が回らなくなったくちびるから、真実の「ごめんなさい」が言えるまで、 決して終わらない・・・ でも、そのあとの博士は妙に優しくなる。 まるで別人のようになる。 だから好き・・・ そんな博士が好き・・・ うさぎと博士 拾われたときは分別もなくて、何の疑いもなくに博士に従った。 連れて来られたのは、白い箱みたいな大きな建物。 しばらく経ってから、博士は科学者であり、ここが研究室だってことを知った。 シンプルで着心地のよい服が与えられ、私はその日から一切の外界を遮断されることになった。 外へ出ることは勿論、テレビ、雑誌、新聞・・・およそ情報と呼ばれるものは全て禁じられ、 許されたのは、大人が読む難しい文学やクラシック音楽だけ。 おウチの中で、毎日時間を持て余すだけの日々が続いた。 走り回って遊びたい少女の私にとって、それは苦痛以外の何ものでもなく、 入ってはならないと念を押された実験室に忍び込んで悪戯しては博士に見つかり、 泣き喚いて嫌がるのを力ずくで引き摺られ、膝に乗せられて容赦なくお尻を叩かれた。 何度、ごめんなさい≠言っても、痛みから逃れたいだけの意味のないごめんなさい≠ヘ すぐに見破られ、もう二度としないと誓うまで、厳しいお仕置きは続いた。 そんな時の博士は言葉を発しない。 無言のまま、右手だけがお尻に振り下ろされて、それが余計に恐怖心を煽る。 でも、終わったあとの博士はまるで別人のように穏やかになって、 泣き止まない私の髪を優しく撫でてくれたり、背中を擦ってくれたり・・・ それがとても気持ちよくて、疲れ果てた私はそのまま膝の上で眠ってしまうこともあった。 目が覚めるとベッドの上で、腫れたお尻には濡れタオルが乗せてあり、 そのときが、寡黙な博士の優しさを強く感じる瞬間でもあった。 そして・・・しばらくすると、泣いて謝ったことなどすっかりと忘れ、 また悪戯しては叱られる・・・ そんな日々が数年続いた。 最近の博士は変・・・ 浮かない顔をして溜め息ばかり吐く。 そして、口癖のように言う。 「きみは、僕のうさぎ≠セよ」って・・・ その意味がよくわからず、キョトンとしていると、 「晶ちゃんはうさぎ・・真っ白なうさぎさ。」 そう言って、頭に手を載せた博士の瞳は私ではなく、もっと遠くを見ているようで、 なんだかとても切ない気持ちになった。 ときどき若い男が論文を取りに訪ねてくる限り、誰も訪ねてくる人はなく ひとりぼっちの博士は、毎日何を思って過ごしているのだろう。 博士の歳を私は知らない・・・ 30の後半くらいかな・・・って勝手に思い込んでるだけで こんなに近くにいても、博士がいったい幾つなのか、どんな研究をしているのか 何一つ、知らなかった。 科学者の多くがそうであるように、博士はどこか厭世的で常に諦め感を漂わせる。 物憂げに煙草をプカリと燻らしては、重い溜め息ばかり吐く博士を見ているのが 辛くて堪らなくて、何とかして喜ばせてあげたくて、 でも、何をしたら喜んでくれるのか、わからなくて・・・ そんなとき、一年前の今頃、どうしても外に出たくて逃げ出したとき見た コスモス畑を思い出した。 ゆらゆらとたゆたうような薄紅のコスモス・・・ それを見たとき、心が生き返るようだった。 張り合いのない日常が一瞬にして華やいだ気がした。 これなら、きっと博士が喜んでくれるに違いない。 そう思ったら、約束などすっかり忘れて外に出ていた。 草の香りが、鼻腔から頭へ抜けていくように息苦しくなる。 季節は秋に差し掛かったところで、夕暮れの風は頬に冷たく、 飛び交うアキアカネも闇が薄い幕を引いてよく見えない。 そんな中、無造作に風に身を任せて揺れるコスモスがとてもきれいだった。 辺り一面のコスモス・・・ それを、出来るだけたくさん摘んで両手に抱えてウチへと急ぐ。 きれいだね そう言って、微笑む博士の顔が見たくて、息を切らして帰途を急いだ。 途中転んで膝を擦りむいたけど、ただ夢中で走った。 乱れた呼吸を整えながら、ドアを開けると、博士を探す。 実験室、書斎、図書室・・・ 博士の居そうなところを探したけど、どこにもその姿は見当たらなかった。 ハァハァ・・・と荒い息遣いだけが静かな図書室に響く。 少しだけ諦めた気持ちでリビングに行くと、ドアの隙間からかすかに音が洩れていて・・・ それは何度か聴いたことのある博士の好きな曲・・・ 確か、ラフマニノフのピアノコンチェルト?? 勢いよくドアを開けても、博士はソファに座ったまま目を閉じているだけで 見向きもしてくれなかった。 「あの・・博士、これ・・・」 摘んできたコスモスを差し出す。 足を組んだまま、ゆっくり目を開けるとボリュームを絞り、博士は言った。 「誰が、外に出ていいって言ったのかな。」 「・・・」 「黙ってないで、答えなさい。」 「博士がとても淋しそうだったから、喜んでもらいたくてコスモスをつん・・・」 「晶、ここに来てお尻だして。」 私の言葉を遮り、着古した白衣の膝をポンポンと叩く。 でも、その意味がわからなかった。 今まで、自分で膝に乗るなんてこと一度だってなかったから。 だから・・・ 「ねぇ、博士、きれいでしょ??」 「きれいだね」って言って欲しくてもう一度、今度は目の前に差し出すと しびれを切らしたように、スッと立ち上がり、左手首を掴まれた。 「イヤ〜ン!!」 せっかく摘んだコスモスの花が放り投げたように、床に散らばる。 まるで、スローモーションのように・・・ それからはいつものように、嫌がるのを力ずくで膝の上に乗せられ スカートが捲られると、下着を下ろされた。 足をバタつかせて抵抗してみるけど、力では到底博士に敵わない。 「外に出てはいけないと、あれ程言って聞かせたのに、君って子は・・・」 パッシィィィーーーン!! ぺッシィィィーーーン!! バッシィィィーーーン!! 「はかせ、痛いっ!」 「痛いのは当たり前だよ。約束を破った子がどんな目に遭うか、よく憶えておきなさい。」 「・・・」 「返事は??」 そう訊かれても、「はい」って素直に言うことができなかった。 確かに、約束を破ることになってしまったけど、それは、博士に喜んでもらいたくて・・・ ただ、それだけだった。 パッシィィィーーーン!! ぺッシィィィーーーン!! バッシィィィーーーン!! いつもなら、痛みから逃れたいために「ごめんなさい」を連発するのに 今日に限ってそれを口にしない私に、博士は苛立ちを募らせていたのかもしれない。 振り下ろされる右手はまるで何か無機質な道具のように、 重く鈍い音を立てて、何度も何度も腫れたお尻に降ってくる。 パッシィィィーーーン!! ぺッシィィィーーーン!! バッシィィィーーーン!! 必死で我慢していたけれど、もう限界・・・ 「ごめんなさぁい・・・ごめんな・・さ・・い・・・」 一度言葉にしてしまうと、あとはいつものように何度も何度も謝っていた。 例え、どんな理由であれ、約束を破ったのは私だから、叱られても仕方ないって・・・ それに、滅多に笑ったりしないけど、怒った顔より薄笑みの博士が好きだったから・・・ それでも、博士は許してくれなかった。 やっと、許されたときはぐったりして、口も開くのも億劫になっていた。 額に滲んだ汗を手の甲で拭くのが精一杯で・・・ でも、いつもの様にずっと博士の膝の上にいる気にはなれなかった。 自分から下りて、博士と目を合わすこともなく無言で部屋を出た。 そして、そのまま外に出た。 これだけキツクお仕置きされたばかりなのに・・・ はじめて見る夜の街は煌びやかに色めいて、免疫のない私は苛烈な賑わいの中 その毒気に当てられてゆく。 見知らぬ男たちの視線を体中に感じ、頭がくらくらして真っ直ぐ歩けない。 博士に叩かれたお尻がジンジンして、それが妙に懐かしかった。 さっきまでの博士がとても遠くに思えた・・・ そして、一晩中彷徨ったあと、私は帰って来た。 真っ白な博士のお城に・・・ 「また、約束を破ったね。」 そう言ってやれやれとばかりに溜め息を吐く博士にしがみ付き、 私は心の中の全てを吐き出した。 「わからなかったの・・・博士がなぜ、外に出ることを禁じるのか・・・」 「・・・」 「もう、外に出られなくてもいい・・・博士のそばがいい・・・」 薬品の臭いのする白衣がこんなに心地いいって 今まで気付かずにいた。 だって、博士のにおいがするから・・・ 安心するから・・・ 「もう約束を破ったりしない・・・いい子にする・・・」 「だから??」 「博士の・・・そばにおいて。」 「ホントに困った子だね。」 「もう、困らせたりしない。」 「外に出ることを禁じたのは、君を穢したくなかったからさ。」 「・・・??」 「君だけは、純粋な真っ白いうさぎでいて欲しかった・・・。」 そのとき、博士の求めていたものが何なのか、やっとわかった気がした。 全てが博士なりの「愛」だったんだって・・ そんな「愛」もあるんだって・・・ でも、ホッとしたのもつかの間・・・ 「晶チャン、また約束破ったね。」 「お尻・・叩く??」 「そうだね、それも朝帰りだからね、仕方ないね。」 俯いたままコックリ頷いたら、そのまま横抱きにされて 下着を下ろされ、思いっきり10回ほど叩かれた。 昨日叩かれたのがまだ痛くて、たった10回でもお尻が悲鳴をあげる。 「おしり・・・いたい・・・」 「そうだね、痛いね。」 「ごめんないさい・・・はかせ・・ごめんなさい・・・」 「僕のほうこそ、純粋培養するつもりが、君の自由を奪っているに過ぎなかったとはね。」 「・・・」 「それより、君が摘んできてくれたコスモス、飾ったよ。ありがとう。」 ありがとう・・・なんて素敵な響きなんだろう。 ずっとずっと欲しかった一言。 何だか、いつもの気難しい博士ではなく、穏やかで紳士な博士がそこにいた。 今まで、見たこともなかったような笑みを湛える博士・・・ そして・・・ 自嘲気味に、独り言のようにこう言った。 「どうやら、僕も君がいないとダメらしい・・・」 この一言が不透明だった私の心を明るくした。 これからはじまる博士との新しい未来・・・ 君は僕のうさぎだよ・・・真っ白なうさぎさ・・・ END Nina拝 |