『Shinymoonとトロピカルカクテル』   -恭介編-











「どうして、そういう大事なこと、僕に黙ってるんです?」



眼鏡の奥の瞳が、急に真剣な色になった。
今まで、和やかな笑い声が響いていた部屋の中は、何とも言えない気まずい雰囲気。
いつも穏やかな恭介だけに、その口調で、相当怒っていることはすぐにわかった。



「・・・黙ってたわけじゃないよ。信号無視はしたけど、事故になってないし、警察にも捕まってないもん。」

「はぁ・・・それ、威張って言うことですか??事故起こさなかったら信号無視してもいいんですか?」

「別に威張ってなんかない・・・」

「警察に捕まらなかったら信号無視してもいいと思ってるってことですね。」

「そうじゃないけど・・・」

「だったら、なんで隠そうとしてたんです??」

「・・・」



そんな、決め付けるみたいに言わないで・・・
袋小路に追い詰められた子猫みたいに、どんどん逃げ場所がなくなっていく。



「黙っていれば済むと思いますか??」

「・・・・」


無言のまま、首を横に振った。
そんなこと、思ってない・・・
ただ、何をどんな言葉で伝えたらいいのか、わからないだけ。



会社帰りに信号無視したこと、隠すつもりなんてなかった。
でも、何て切り出したらいいかわからなくて、叱られるのが怖くて言い出すことができなかった。
こんな気まずい雰囲気はイヤ・・・

何を言ったって、それは所詮言い訳≠ナ、身に纏ったメッキが剥がれていくだけ。
だったら、黙っていたほうがいい・・・

もし、ここで、「ごめんなさい」を言えば、許してくれるの??
「二度としちゃダメですよ」って笑って言ってくれるの??
そんなわけない。

恭介が何を求めているかわかっているはずなのに、さっき飲んだお酒のせいで、頭の中が朦朧として、どうしたらいいかわからない。




足りないとばかりに、残りの缶ビールを軽く飲み干すと恭介は冷ややかな声で、こう言った。



「京子、ここへ来てお尻出しなさい。」



酔って、火照っていた身体からスーッと力が抜けてゆく。
軽い眩暈を起こしたみたいに・・・
こんなことを言う、恭介は好きじゃない・・・っていうか、嫌い。
大好きなのは、「いい子ですね」って頭を撫でてくれる優しい恭介・・・


ちゃんとわかってるよ。
悪いことをしたって・・・
叱られても仕方ないって・・・
でも、痛くされるってわかってるのに行けない・・・
自分でお尻だすなんてできないよ・・・
できない・・・




「仕方ありませんね。」



大きな溜め息が聞こえたかと思うと、サッと立ち上がって
恭介は、テーブルの反対側にいる私のところにやってきた。

逃げたかったけど、椅子に根が生えたみたいに身体が動かなくて
抵抗する隙も与えてくれない程の素早い動きで、左腕を掴まれ視界が逆転する。


「イヤ〜!!」


ズボンにしがみ付いて、腰に回された腕を振り払おうと暴れてみるけど、つま先がわずかに床に付く程度で、力が入らない。



バシッバシッバシッバシッバシッ!!!



「きゃっ!!イタッ!!」



無言のまま、何度かお尻を叩かれたあと、横に抱えられたまま、ソファーまで連れて行かれた。
必死で抵抗するけど、長身でスレンダーな身体からは、想像もできない力で、呆気なくソファーに座った恭介の膝の上に倒されてしまう。


そして、パジャマのズボンが下着と一緒に下ろされた。




「京子!信号無視なんて、言語道断です。痛い思いをしてしっかり反省しなさい。」

「やだやだやだぁ〜!!下ろしてぇ〜!!」

「やだじゃありませんよ。自分のしたことをよーく考えなさい。」

「だって、痛くするもーーーんっ!!」

「痛くされるようなことする、貴女が悪いんでしょう??違いますか??」

「今度から気をつけるからぁ・・・」

「今度からでは遅いんです。」



パッシィーン、ペッシィーン、ペッチィーン、パッシィーン、ペッチィーン!!





どうして、大人しくしていられないんだろう・・・
じっと我慢していれば、許してくれるかもしれないのに。
それができないから、何度も何度も叱られてお尻を叩かれる。



「前にも言いましたよね??危ないことはいけませんって。」

「イヤ〜!!きょうすけ、いたぁーーい!!そんなの知らないー!!」

「知らない??よくもそんなことが言えますね。だったら、もっと厳しくしましょうか。」

「いたいっ、いたいよぉ・・・ふえっ・・・もうイヤーーー!!!」

「まったく、『イヤだ、イヤだ』ばっかりで、他に言うことがあるでしょう??」

「だって、したくて信号無視したわけじゃないもん・・・」

「当たり前です!そんな言葉が出るなんて、全く反省してないってことですね。」

「いや〜ん!!」

「今日という今日は許しませんよ。キチンと反省できるまで、たっぷりお仕置きです!!」



パッチィィィーーン!!ペッチィィィーーン!!バッチィィィーーン!!




恭介は、今までとは比べ物にならないくらいの力で休む間も与えず、右手を振り下ろす。

私は、痛みを散らすために、悲鳴をあげて暴れることしかできない。
いったいいつまで叩かれるのだろう。
そう思ったら、絶望的になった。



ピッシャーーン、ピッシャーーン、ピッシャーーン!!




「これだけ叩かれても、まだ反省できませんか?
それとも、悪いことしたって自覚がないんですか??」

「・・・そんなこと・・ない・・」

「だったら、言うことがあるはずです。」

「・・・・」

「・・・・ごめっ・・なさい・・・」

「聞こえませんよ。もっと大きな声で言いなさい。」

「・・・ごめ・・ん・・なさい・・・もうしないから・・・ごめんなさ〜い・・




痛みに耐え切れず、やっと出た「ごめんなさい」に平手が止まった。
でも、右手は依然としてお尻の上に待機されたまま・・・

だから、まだ許されてないんだってわかる。
重い気持ちで、泣いた目を擦っていたら、膝の上に抱き起こされた。



「京子・・・交通ルールってなんであるのか、わかりますか??」

「・・・??」

「警察に捕まるから、みんな交通ルール守ってるんでしょうか??」

「・・・ううん・・・」

「そうですよね、違いますよね・・」




さっきまでとは全く違う、どこか淋しそうな声に心が揺れはじめる。
端正な顔が陰りを帯びて、辛そうで・・・




「もし、僕が事故に巻き込まれて怪我したらどうします??信号無視して交差点に突っ込んでくる車にぶつかって。」

「?!そんなのイヤ〜〜〜!!そんな悲しいこと言わないで。」

「ですよね・・・」

「恭介が事故にあったりしたら、わたし・・・わた・し・・・」

「僕も同じ気持ちです。京子が事故に遭って怪我するのも、加害者になって他人を怪我させるのも
 イヤなんです。自分一人の問題じゃなくなるんですよ。一瞬の不注意が、関わった人の一生を狂わせてしまうんです。
 そうなったら、僕は何もしてやれない・・・」

「きょう・・すけ・・・」

「だから、二度と危ないことはしないで欲しいんです。たのみますから・・・」

「・・・」

「貴女が信号無視したって聞いて、本当に心臓が止まるかと思いました。
 お願いですから、お転婆もやんちゃも不注意もほどほどにしてくれないと、心配で心配で僕の身が持ちません。」



恭介は掠れた声でそこまで言うと、
優しく頭を撫でてくれた。



「大切な貴女にもしものことがあったら、それを防げなかった自分を、僕は一生許せない・・・」

「・・・・ごめん・・なさ・・い・・・ごめ・・ん・・なさい・・・私が悪い子だったの・・ごめんなさ〜い!!」

「やっと、心からのごめんなさいが言えましたね。素直は京子はカワイイですよ。」

「きょうすけ・・・素直にできなくてごめん・・なさい・・・」

「ほらほら、あんまり泣いてると、明日、目が開かなくなってしまいますよ。」


眼鏡の奥で優しい瞳が揺れてる。
長い指が零れ落ちる涙を拭ってくれる。


どうして、今まで素直になれなかったのだろう・・・
悪いことだってわかっているのに、素直になれなくて恭介を困らせて・・・
でも、恭介の気持ち、たくさんの愛、この胸にちゃーんと伝わったよ。


信号無視したこと・・・
事故起こしてないし、警察に捕まってないから、大したことないと思ったこと・・・
叱られるのが怖くて、黙ってようとしたこと・・・


いろいろなことが込み上げてきて、その胸に抱きつき、
留め金が外れたようにわんわん泣いた。






「恭介に叱られるのが、怖かった・・・呆れられるのが怖かったの・・・
 もう、二度と危ないことはしない・・・ちゃんと約束する・・」

「そうですね。事故起こしたこと思えば、お尻ぶたれる痛みなんて大したことありませんよね??」

「・・・??」

「ちゃんと反省したら、ここからがお仕置きです。しっかり我慢しなさい。」

「はい・・」




それからは、じっと我慢した。
こんな自分でも我慢できるんだ・・・って本当にそう思った。

もう、二度と危ないことはしないよ。
恭介を悲しませるようなことはしない・・・



「よく我慢しました。いい子ですね。」



終わったあと、恭介は膝の上に抱っこしてギュッと抱きしめてくれた。
腕の中は暖かくて、恭介のいい匂いがして身体がふわふわ軽くなる。
このまま眠ってしまいたくなる・・・






「痛かったですか??」

「痛かったし、怖かった・・・」

「ははは、京子はかわいい顔して結構強情ですからね。
 これからはもっといい子になってもらわないとね。」

「うん・・・ずっといい子でいられるようにがんばる。」

「はい、僕のためにそうしてください。」

「・・・恭介・・・もう一度、抱っこ♪」

「やれやれ、僕のお姫様は甘えん坊ですね。
 ほら、おいで。」

「恭介・・・大好き」



広げた腕の中に抱きついた。
だってね、恭介に抱っこしてると、とても安心するから・・・



「ところで、お酒飲んでポロっとこぼさなかったら、ずっと黙ってるつもりだったんですか??」

「・・・」



そう、聞かれて、一瞬、言葉に詰まった。
恭介は、困ったように苦笑する。



「それと、なんで信号無視なんてしたんです??
 その理由、まだ聞いてませんよ。」

「それがね、フロントガラスから見える月があまりに綺麗だったから、見惚れていてつい・・・」

「じゃあ、その月、僕が取ってきて、貴女にあげます。」

「えっ、どうやって??」

「ちょっと待っててください。」



恭介はそう言って、ワイングラスとトロピカルカクテルを持ってくると、グラスに並々注ぐ。
いったい何をする気なのか、興味津々で見ていると、ベランダへ来るように促された。


車の中から見たときより、幾分小さくなった月が雲ひとつない空に青白く輝いている。


「ほら、見てください。」


恭介が手にしたグラスを見ると、小さな泡がキラキラ光って月がうるんで見える。


「わぁ〜、キレイ〜♪」

「でしょう??この月は貴女のものです。だから、二度と信号無視なんてしないでくださいよ〜
 今度やったら、物差しで1週間は座れないくらい引っぱたきますから。」

「うん・・・」



あまりにもうれしくて、また涙が込み上げてきた。
こんな素敵な彼、どこを探したっていやしない。

痛くて泣いたり、反省して泣いたり、うれしくて泣いたり・・・
なんだか、忙しい1日だったけど、涙は心の浄化だから、
たまには思いっきり泣くのもいいかもしれない。


お尻はジンジン痛いけど、何だか気持ちがスッキリして、
トロピカルカクテルを飲みながら、ずっと月を見ていた。



私のシャイニームーン・・・

それは・・・恭介♪







END







Nina wrote.

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